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精子数検査はヤヤこしい、40余年前の九大は野蛮だった 僕もカンオケに片足ツッコんだ老人になったから、なんでも告白しよう。40歳を越えて、東京・北多摩では、多少、カオがきく商売をしている息子がいるが、この子を産むトキは苦労した。とにかく約50年前、老翁ご存知の老妻と結婚したとき、毎夜の”寝床”が楽しくて、若い女房殿が産もう、としないのだ。しかし婚後5年たつと、その我がまま女房殿が一転して、「どうしても貴方の子供が欲しい」と、言いだした。
当時、新聞記者として、福岡県政と九大とを担当していた僕は、九大医学部の産婦人科・助教授に相談した。コイツ、まったく教育者らしくなく、東中洲のカオで、ジャンバー姿で、ハーレイ・ダビッドソンを走らせ通院していた。僕ら夫婦に対して、まず亭主である僕の精子数を調べる、と宣言して、コップをくれた。
ケゲンに思った僕に対し、助教授は乱暴にも「大便所へ行ってマスをかいて、コップに精液をタメて持って来い」の一言。昭和30年代半ばの九大医学部の大便所は、戦前同様、汲み取り式で、ドスンと直下、1・5メートルぐらい下の肥溜めに落とす野蛮なトイレだった。シャガミこんで、下腹部をさわったら、勃起はしたが、サスっても、コスっても、環境不良でカンジンの液が発射しない。
思い余って、カラのコップを持って、助教授室へ戻ると、「お前、ショウがないな。ワン・ベッドの病室を30分、貸してやるから、奥さんに面倒を見てモラなさい」と、前よりはヤサシかった。ご教示どうり、病室で、女房殿にアソコをサスってもらって、ようやく射精し、コップに若干、精液をタメて助教授室に持って行った。電子顕微鏡の方は、当時でも発達していて、彼がすぐ調べたところ、精子数が「平均より少ない」とのコトで、アレする回数を”凝縮”して、「一挙に”噴射”せよ」と、ノタマワった。
助教授のご託宣どうり、あの回数を減らし、事前にウナギの蒲焼をフンダンに食べて事に及び、結婚6年後、ようやく出来た男の子が、いま40余り歳の一人息子である。アメリカの”精液供給士”も、自慰行為以外に、射精するミチはないようだが、この”射精室”には、あらかじめポルノ雑誌、ポルノDVD・ビデオ等が置かれており、ひとり楽しくマスがかけるそうである。
【2007/03/01 10:20】
URL | R.H. #- [ 編集]
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