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八幡大空襲
2015/08/08 [Sat]11:06
category:放言
暑い!暑い!犬が散歩を嫌がるほど暑い! 
 昨日8月7日は、八幡大空襲の日で、私の家がアメリカの焼夷弾で丸焼けになった日でもあった。
私は中学4年で学徒動員で、造兵廠の疎開先大分日田で働いていたが、盲腸炎になり自宅に帰っていた。生憎、大空襲の日は、若松島郷の百姓に嫁いていた姉の家に白米を食べに行っていた。
9日帰ってみたら私の家だけが焼けていた。二人の妹は幸い無事だった。下の妹は家の中の防空壕にいたが間一髪外に逃げて助かった。当時大人が家に居るところは焼夷弾を外に投げ捨て無事だったが、本来ならば、夏休み中だが、空襲警報が鳴り校長をしていた父は奉安殿を守るため学校に行き、母も上席をしていたため家は留守だった。
妹は母の勤め先の小学校に行ったが、その隣にある小伊藤山の防空壕に煙が入り数十人が煙にまかれて窒息死し爛れた遺体がごろごろしていたという。
この大空襲で、約2.500人が死傷、家屋約1万4000戸が消失、5万2562人が住居をうしなった。
私の家では、防空壕にあった陶器類と二人の妹を馬車に乗せて、父の里・岡垣に疎開した。まさに着のままで着る服はなし、住むに家なし、食べる食なしの状態であった。
大地主の素封家に生まれ、若くして八幡市の女教員会長を務めた母は、私たち三人を育てるために、教師を辞め一町の畑を作った。(一町の畑が如何にに大変か)
歴史に”もしも”ないが、敗戦がもう一週間早かったら私の人生は変わったであろうし、無謀な戦争が無かったならと、死を目前に控え悔やまれる日々である。
86歳まで元気な身体に育ててくれた亡き母に感謝をこめて・・・。

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