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ありし日の飛田遊郭。
2012/09/24 [Mon]08:32
category:放言
【マニアック街道】 禁断の遊郭「飛田新地」が“外”に開かれた日 
天下の悪法『売春防止法』は2年間の猶予期間を経過し、私が大学3年の頃、1958年(昭和33年)4月1日から施行された。勿論、先輩のご指導の下、お世話になった。当時、ワンショットの公定価格は500円(学割400円)、因みに、国立大学の月謝は500円。
 平成21年12月26日、ある会合の忘年会で飛田新地の「鯛よし百番」を訪れたことがあるが、外観は昔のままだった。
飛田新地の料亭街。夜になると各店に明かりが灯り、通りを行き交う客らでにぎわう(一部画像処理しています)
かつての遊郭の名残をとどめる大阪・西成区の飛田新地。「おにいちゃん、ええコがおるよ、寄ってって!」。夜のとばりが下りると通りに並んだ各店からは赤やピンクのなまめかしい明かりが漏れ、曳っ子のおばさんたちの声がひっきりなしに響く。ここは言わずと知れた男たちが訪れる夜の街。その“商売”のやり方や街のたたずまいを見ていると、戦前か大正時代にタイムスリップしたかのような感覚になる。そんな異空間・飛田が年に2日間だけ“外”に開かれるときがある。地元の夏祭りが街を舞台に行われるのだ。(高田清彦)
150軒に女性400人…“品定め”しつつ歩く客
外に開かれるというのは、フリーライター、井上理津子さんの話題のノンフィクション「さいごの色街 飛田」(筑摩書房)で使われている表現を借りた(同書では祭りの日を「『外』の者にも開かれている日」としている)。
祭りが行われたのは天神祭と同じ7月24、25日の2日間。同書では、「飛田は『ノー・ピクチャー』の町だ。しかし、この夏まつりの二日間だけは、神輿(みこし)や行列を、背景に町並みを入れて写真を撮ることが許される」とある。飛田を数年にわたって取材した井上さん。同書によると、この祭りのことを別の本で書いたところ、次の夏祭りは、本で祭りのことを知った人たちが写真を撮りにきて、ギャラリーが明らかに増えていたそうだ。

今年の祭りを見た。まだ日も高い午後。「わっしょい、わっしょい」という威勢のいいかけ声と太鼓の音とともに、子供たちを乗せた神輿の行列が周辺の商店街を練り歩き、飛田新地の大門跡を通って料亭が並ぶ新地の中心街に入った。

昼間だが、営業している店も数軒ある。神輿はその玄関先で止まり、「祝いましょ、打~ちましょ」と子供たちが声をあげる。行列は北の桜木通りから一つ南のメーン通りに回ったところで止まり、休憩に入った。 夜になると活気を帯びる色街を、黄色い声の子供神輿がにぎやかに進んでいく光景は、かなり「シュール」だ。取材に訪れた7月25日は、“外”から写真を撮りにきている人はそれほど見かけなかった。
 この祭りは、町内会の飛田連合振興町会が行っている。出店があるわけでもなく、ちっぽけなものだが、参加した子供たちは楽しそうだ。「こういう地域だけど、子供たちもいてるからなあ…」。町会の人らによると、この地域では祭りらしいものが何もなかったため、子供たちのために数十年前から始めたという。

飛田新地とはどういうところか。臆面もなく言ってしまうと、金を払って女性と“やる”ところだ。なぜ営業できるのかとか、取り締まりはどうなっているのかとか、細かいところはいろいろあるが、ここでは省く。
車がやっとすれ違える狭い通りの両側にずらりと並んだ料亭。その開け放たれた玄関の上がりがまちには「曳っ子」と呼ばれるおばさん(「やり手ばばあ」ともいう)が座り、通りを行く客に声をかける。その横で、客の相手をする女のコがニコッとほほ笑む。客は店をのぞき、どのコにしようかと品定めしながら通りを歩く。これが今も昔も変わらぬ飛田新地の風景だ。
今は約7万平方メートルのエリアに約150軒の料亭があり、約400人の女性が働いているといわれる。特に桜木通り(通称・青春通り)とメーン通りは、アイドルも顔負けの若い美人がいると評判だ。そんなコを、玄関口でじかに顔を見て選べるところに飛田の人気があり、客も20~30代の若い層が多いようだ。
 飛田新地は、東京の吉原のように江戸から続いた遊郭ではない。誕生したのは大正7(1918)年。花街の難波新地が明治末に大火で焼失したため、その業者の移転先として新たにつくられたとされる。

近くに新世界の歓楽街を控え、鉄道交通の便もよかったことから大いににぎわった。遊郭は戦後も「赤線」として生き延びたが、昭和33(1958)年に売春防止法が施行され、赤線は廃止された。しかし、飛田は「料亭」と名を変え、昔ながらのスタイルで“静かに目立たず”営業を続けていく。

約20年前に飛田新地を取材したことがある。当時はバブルが弾けて間もない頃で、新風営法の施行(昭和60(1985)年)やエイズ騒動(62年)、ファッションマッサージなど新手の風俗産業の台頭で、商売的には厳しいときだった。「10年余り前に比べ、客足はめっきり減った。昼間から開けていても客がほとんど来ない日もある」。曳っ子のおばさんがこう嘆いていた。
「かつて月何百万円の“あがり”があった店でも、今なら100~200万円程度。女の子に日当を払ったらナンボも残らず、赤字を出さないようやりくりしている店が多い」。事情通の関係者からはこんな話も聞いた。
 大学予科の頃、ストームといって酒を飲み踊った跡“みんなで渡れば恐くない”の勢いで、新宿2丁目(赤線)に雪崩れ込み、豪邸を失ったものが、そこには早稲田や旧制の一高の学生も屯(たむろ)していた。特に圧巻は、早慶戦で早稲田が勝った日だ。新宿一帯を踊りまくり、2丁目は超満員。


テーマ:大阪 - ジャンル:地域情報

  COMMENT(1)
この記事に対するコメント

記事読ませて頂きました。
ありがとうございます☆
それではまた。
【2012/09/25 10:11】 URL | ななしさん #- [ 編集]


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