プロフィール

tawara777

Author:tawara777
私の時事放言ブログへようこそ!

時事放言の他にも色々書きます。
「掲示板」です。どんなご意見でも投稿を是非お願いします。

最近の放言

最近のコメント

過去の記事

カテゴリー

リンク

リンク

【とにかく、前向き!!ひかりの新聞情報源!】


生 前 告 別 式
お知らせ
このブログでは迷惑コメント設定により
コメントがすぐに表示されないことがあります。
備えあれば憂いなし。
2015/05/30 [Sat]10:54
category:放言
 昨日のNHKのテレビは、口永良部島の火山爆発の報道ばかりだったが、一昨日は国会中継ばかりであった。
じっくり聞いたが、安倍総理の答弁もウンザリするほど長かったが、質問する民主党の議員も「木を見て森を見ず」の建前ばかりの空理空論ばかりが多く、しかもシツコかった。 そこで、今朝の『産経抄』を紹介する。


”全島民が半日で島外に避難が完了し、被害が最小限に済んだのは風向きが幸いしたのもあるだろうが、住民も役所も日頃から準備してきたからであろう。▼自然災害に備えるのも有事に備えるのも基本的には同じである。噴火も地震も台風もないにこしたことはないが、「起きないように」と祈っていても忘れたころにやってくるのが災害である▼安全保障も同じで、「戦争が起きないように」と祈っているだけで、平和が保てるのならマヤもインカ帝国も滅亡しなかった。戦後70年、戦争に巻き込まれなかったのは、ありがたい話であるが、このまま何もせずに次ぎの10年、20年も大丈夫といえるほど世の中は甘くない▼日本の近所には、自国からはるかに離れた岩礁を埋め立てて軍事基地を造ろうとする国や、人民が飢えているのに核兵器やミサイル開発に血道をあげている国がある。こうした国の暴走を止めるには、日本だけの力ではどうのしようもない。仲間と協力して平和を守るため集団的自衛権を行使するのが、なぜ悪いのか▼安保法制は重要なので今国会で決めなくてもいい、という意見も一見もっともらしいが、まったくの暴論だ。噴火や地震と同じく危険は突然やってくる。東シナ海や南シナ海には、覇権主義という赤いマグマが溜まっている。”
次回、『国民年金の行方』、と友人の書いた『亦楽メモ』からシルバー川柳を引用する予定。

  COMMENT(0)
続『恋づくし』。
2015/05/28 [Thu]15:38
category:放言
>恋づくし宇野千代伝』の著者・工藤美代子さんは
1950年(昭和25年)生まれ。チェコスロヴァキヤ・カレル大学を経て73年からカナダに移住し、バンクーバーのコロンビア・カレッ卒業。91年「工藤写真館の昭和」で講談社ノンフィクション賞を受賞。93年帰国。
[野の人会津八一」、「海燃ゆー山本五十六の生涯」、「悪名の棺ー笹川良一伝」、「絢爛たる醜聞ー岸晋介伝」の他数多く著書があり、熟年世代の性に鋭く切り込んだ「快楽(けらく)-更年期からの性を生きる」、「快楽Ⅱ-熟年性愛の対価」がある。

 工藤は、ある雑誌に”フィクションで書くかノンフィクションで書くか迷ったが、興味を持った相手と「寝る」ことで関係を始めた彼女の人生で、いちばん大事な「性愛」の場面を描くことに重点を置くため今回は小説として描くことにした”と語り、別の雑誌では、”今はようやく中高年、熟年もセックスについて普通に自由に話せるようになったが、彼女は100年ぐらい時代の先を行った人”とも述べている。
私は彼女の作品を数冊読んだが、よく調べよく研究し、文体も易しく本当にスラスラ読める。
今回の「恋づくし」も宇野千代の作品は言うに及ばず、”人生劇場”を書いた尾崎士郎や、二科の東郷青児や共に雑誌「スタイル」を編集した作家の北原武夫、一時関係があり夭折した作家・梶井基次郎や青山二郎の作品に目を通し、実にリアルタイムで書かれ、まさに興味津々たるものがあった。
『芸のこやし』、『題材のため』か男性はもとより、岡本かの子、林芙美子をはじめ女流作家も性に奔放だ。

  COMMENT(0)
奔放に生きる宇野千代。
2015/05/27 [Wed]08:03
category:放言
工藤美代子著『恋づくし宇野千代伝
 茄子紺(なすこん)―地に赤や黄色のチューリップが咲き乱れている着物に身を包み、4月のある日、千代は雑誌「中央公論」の編集部を訪れる。編集長である滝田樗陰(ちょいん)に原稿料のお礼方々、次作の打ち合わせをしようと思ったのだ。その編集部で、千代は一人の男と出会う。その男こそが、尾崎士郎だった。
 出会った瞬間から、お互いに惹(ひ)かれあった2人。千代は、士郎が逗留(とうりゅう)していた、本郷の菊富士ホテルの部屋へ転がり込み、千代の帰りを待ちわびた夫の悟が東京に迎えに来た時も、千代は躊躇(ためら)うことなく士郎を選ぶ。
  千代とは、後年、女流文学賞、芸術院賞、勲三等瑞宝章、菊池寛賞を受賞し、文化功労者となった、宇野千代のこと。物語は、士郎との出会いから、晩年までを、千代が関わった男たちとの、愛憎半ばするドラマを丹念に描いていく。
  悟と離婚し、士郎と結婚後も、梶井基次郎、東郷青児と千代は恋愛遍歴を重ねる。梶井とは、伊豆・湯河原温泉に士郎と逗留中に萩原朔太郎から紹介された。梶井は初めて会った時から千代に魅了され、千代もまた、梶井のその思いを受け入れる。
  東郷青児は、千代にとっての「西洋」だった。千代は思う。「あの身体から、あたしはきっと血の紅さも熱さも濃さも感じ取れるだろう」と。東郷との日々は、後に千代の代表作となる「色ざんげ」という形で昇華される。
  「優しい気持ちで、ひたすら男に尽くす」日々と、「その男の愛情も矜持(きょうじ)も尊厳も平気で踏みにじる残忍な」日々を繰り返した千代だったが、その底には、ただ1人惚(ほ)れ抜いた士郎が、自分より若い娘を選んだ時の失意があったのではないか。本書を読むと、恋多き女と呼ばれた千代の、そんな切ない横顔も浮かび上がってくる。
その後北原武夫と結婚し共に、雑誌『スタイル』を発行したが失敗その尻拭いは彼女がしたし、偉大さは無名の彼らを全国区にした上、15軒の家を建ててやったことだ。最後のセックスは80歳目前、58歳の大学教授とこの本に書いてある。
 次々と男と浮名を流しつつ、その実、骨の髄まで作家だった千代。明治から平成までを生き抜いた1人の女の、可愛らしくも逞(たくま)しい生き様を描き切った1冊だ。
明日、著者工藤美代子の横顔を紹介する予定。いま 枕元に村田喜代子著『八幡炎炎記』を置き読んでいる。

  COMMENT(1)
歌は世につれ。
2015/05/24 [Sun]07:19
category:放言
明治・大正・昭のうた』
(童謡・唱歌・歌謡曲・軍歌・戦時歌謡・寮歌・校歌)
 図書館から借りて寝床で一週間、文言をじっくり噛み締めながら口ずさんだ。
それで気が付いたのは、童謡の”桃太郎”、”ウサギとカメ”、”サル・カニ合戦”、”はなさか爺さん”等は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)道徳教育だ。唱歌は、日本神話(だいこくさま)、自然の美しさ、四季のうつろ(朧月夜・夏はきぬ・紅葉・茶摘み・早春賦etc)、地理・歴史(鉄道唱歌・鎌倉・箱根八里・七里ガ浜の哀歌・波浮の港etc)の格調高い歌だ。
戦中派の私は、この本にある童謡、唱歌、歌謡曲の90%以上、軍歌は60%、戦時歌謡は100%、寮歌は一高・三高・五高・七高に北大予科の歌は歌える。
82歳のSさんも、75歳のTさんも最近の歌謡曲は、意味不明その上、横文字が入ってワキャワカランと、嘆いているが、わたしも同感だ。
古い人間といわれるだろうが、昔の歌は情緒があり意味鮮明。郷愁を誘う。
NHKの懐メロも、7チャンネルの懐メロも昭和60年以降がほとんどで、戦前から昭和30年の歌は皆無だ。
私の持論だが、「子どもの日」には童謡・唱歌を放映し、子どもの情緒や道徳心を養い、「敬老の日」には戦前の歌を放映し私たち老人を悦ばしてほしいものだ。

先にに私の駄文『杉田久女』を同級生で、三高から東大にいき建設省を退官したK君に送ったら、昨日、暇ひまに集めた『新亦楽(えきらく)メモ』が送られて来た。内容はおいおいこのブログで紹介する。
  COMMENT(1)
婚外子を認知せよ。
2015/05/22 [Fri]16:06
category:放言
激増、フランスでは婚外子が出産児の半数以上
   日本とフランスという東西の先進大国に、一昔前は考えらなかった子ずくり異変が起こっている。日本では、10代・後半から20代・前半にかけての若者の間に、女体・妊娠とわかって慌てて結婚するデキチャッタ婚が激増し、他方、フランスでは、正規の結婚という法的手続きを踏まずに出産する婚外子が、全出産児の半数を上まわる、という事態になったのだ。
   我が厚生省筋の推定では、1980年には全結婚数の10%前後(8万3千組程度)だったデキチャッタ婚が、2004年には27%前後(13万9千組程度)に増え、増加機運が続いている。ザッと言って、結婚の四組に一組はデキチャッタ婚と見てよい。問題は、このデキチャッタ婚が、成人式前後の若者に集中しているコトで、同じ推定によると、2004年、15歳から19歳の間で挙げた結婚の80%前後、20歳から24歳までに挙げた結婚の60%前後が、いずれもデキチャッタ婚だった、という。性交年齢の低年齢化とともに、婚前・性交渉は一般化し、女性の妊娠がわかって、結婚に追いこまれるケースが極端に多くなった、といわれる。  しかし、デキチャッタ婚には問題が多く、ワーキング・プアー(貧困労働)階級を増やす結果になっている、との指摘もある。もともとデキチャッタ婚組は低学歴組が少なくない。成人式前後にデキチャッタ婚すれば、まず自活できず、親がかりになるか、社会の下層に落ち込む可能性も強いからだ。アトで「デキチャッタ婚は失敗だった」といって、離婚に走る若者も多い。日本でも、高学歴組ほど、結婚が「遅くなる」傾向が見られる。彼らの間には、いったん恋愛関係に入っても、相手を冷静に見据える冷却期間を置き、そのアトで”仕切り直す”『冷却婚』が流行し出し、これまた一つの社会問題になっている。
  他方、多子・多産政策を、左右両派政権とも国策として優先させているフランスでは、出産ー育児に対する中央、地方両政府の面倒見が非常に良い。結婚という法的手続きを踏まずに生まれた婚外子も、正規の婚内子と同様、育児手当の受給等で、同じ待遇を受けている。それが出産率にも比例して、全出産児に対して、1965年には5・9%だった婚外子の出産が、2005年には48・4%にまで増えた。フランス国立統計研究所の調べによると、この全出産数への比率が、2006年には婚外子50・5%にまで上がったのである

我が国もこれだけ少子化が進むなら、成り振りかまわず、婚外子を認めるべきだ。それでなくても最近の結婚は”出来チャッタ婚”が多いのが現実だ。政治家の頭の硬いのに驚く。
  COMMENT(0)
党首討論を聴いて。
2015/05/21 [Thu]11:05
category:放言
『昨日の党首討論を聴いて』
 15時から約1時間30分間、テレビに釘ずけになって見ていたがアッケなかった。持ち時間は議員数で決まるせいか短かすぎた。岡田代表は、原理主義者らしく安全保障問題一本槍で、「自衛隊のリスクが高まるのではないか」とか「米国の戦争に巻き込まれるのではないか」等の質問に終始した。
代表就任翌日の松野代表は、消費税値上げの前に議員自ら身を削るべく議員定数を削減すべきだ。また安全保障法案を審議する特別委員会に、少数政党の委員を入れるべきだとの質問をしていた。
共産党の志井委員長は、例によって例の如く自虐史観を述べた。
先に述べたように、残虐な事件の続発を憂い、人口減少の中、国会議員から市町村議員にいたるまで全議員の定数・歳費や手当の削減を叫ぶ政治家はいないのか。しかも、お手盛りとは情けないどころか猛烈に腹が立つ。

◎ 先の「たかじんの委員会」でも「クローズアップ現代」でも放映していたし、「文芸春秋」五月号に載っていてご存知の方も多いと思いますが、薬漬けで飲み残しの薬が○○億円あり、薬の飲み過ぎで病気になる人も多いし、飲むのを止めたりたり減らして良く人も多いと報じていた。不肖私は、国家財政に協力すべく、医師の指示の半分しか飲んでいない。

  COMMENT(0)
都構想、敗因の原因。
2015/05/19 [Tue]10:17
category:放言
 順風満帆、騎虎の勢だった橋下大阪市長の長年の念願の大阪都構想が僅少の差で破れ、政界引退を表明した。

「たかじんのそこまで言って委員会」
で建前の発言の多いなか、本音で赤裸々の発言で人気を博し、請われて大阪府知事選に立候補し爽やかで迫力ある演説でて圧勝した。
口の上手い調子のよい有言不実行の政治家の多い中、彼は有言実行、公務員改革、議員の歳費や公務員の給料や手当の引き下げを断行し大阪府民のみならず、全国民の公務員への不満に万雷の拍手を浴びた。
大阪府と大阪市の二重行政の無駄使いを解消すべく、知事を辞任、市長選に鞍替えし大阪都構想を練り上げた。
私は、橋下氏の果敢なな行動力と決断力に感動し、このブログで絶賛し続けてきた。
ところが、桜ヶ丘高校のバスケットクラブの監督の体罰による自殺事件が起こるや、彼は激昂して持論を豹変して、クラブの解散させるのみか、推薦入試まで止めさせた。橋下氏のの思い上がりに、一転愛想が尽いた。都構想の敗因の原因だと私は思う。
その結果、日本中に体罰即悪の雰囲気をつくってしまった。スパルタ教育を推奨していた硬骨漢の石原慎太郎氏までも沈黙してしまった。
その上、母親モンスターが暴れだし指導にイチャモンを付け出し、教師はストレスが蓄積し精神障害が増えているというではないか。動物の調教で見られるように、教育にはアメとムチが絶対必要なのだ。
もちろん怪我をさせる体罰はご法度だが、怖いものが必要なのだ。昨日も祖母と母親の殺す事件があったように最近殺伐な事件が続発しているが、甘やかしの教育が原因なのだ。「角を矯めて牛を殺す」のことわざはこのことだ。
ローマ帝国の崩壊み見られるように、国家の崩壊は道徳の乱れに原因があるというのが、歴史家が異口同音に言っていることだ。
安倍さん!、野党の皆さん!。景気対策や有事法制も大切だが、それよりも精神復興がモットモット重要だと思うが、諸氏のご意見は如何か。
先日書いた「杉田久女」を旧制小倉中学の同級生数人に送りました。
  COMMENT(1)
悲劇の俳人・久女
2015/05/16 [Sat]10:40
category:放言
資料集めに10年、執筆に3年かけ山青邨に師事し俳人で東洋大学教授・坂本宮尾女史の書いた『美と格調の俳人・杉田久女を十日間かけてやっと読み上げた。
久女をモデルに悪意に満ちた松本清張「菊枕」、吉屋信子「私の見なかった人」,
高浜虚子
「国子の手紙」>で、世間に狂女の印象を与えた。
しかし、著名な評論家・山本健吉氏は「彼女はおそらく、近代女流俳人中、随一の天才的な作家であろう」と述べ、「ホトトギス」同人から除籍し、久女を苦しめた高浜虚子でさえ、久女の死後「久女さんの俳句は天才的で雑詠欄で特別輝いていた」と褒めていた。ホトトギス派の著者も、数多く作品に解説を加え「あとがき」で絶賛している。
久女は、当時女性として最高で難関校の御茶ノ水高女で学ぶ才媛で、上野美術学校(現東京芸大)卒の杉田宇内に将来の画家夫人を夢見て嫁いだ。
ところが、宇内は30数年間勤めた小倉中学の教育に埋没し、画筆を取ろうとはしなかった。そのストレスの解消に兄から手ほどきを受けた俳句に没入した。”足袋つぐやノラともならず教師妻”にあるように安月給に嘆いていたようだが、当時、製鉄の作業員でも4,50円、小学校の校長だった父が110円か20円、30年勤務の母が80円時代に、夫の宇内は美校出でおそらく200円と想像される。彼女の略年賦をみると東京、横浜、長野、松山、出雲、熊本、近辺もあちこちと出歩いている。三河の素封家生まれの明治男が時々癇癪したもののよく我慢したもんだ。この逆境こそが天下の名俳人を生んだのではなかろうか。
恩師・宇内先生は、ニックネーム・バネさんといって実直な先生であった。美校卒業後定年まで小倉中学一筋で、美術は中学5年間で2年か3年の1年間それも1週間に1時間だけ。その僅か50分の授業の20分間を生徒の氏名をフルネームを覚えるのに費やした。驚くことに、1期生から私たちの35期生までの生徒全員の名前をフルネームで覚えておられた。旧小倉市から教育功労表彰も受けていた。
一年に一度の同窓会総会に、三河の山奥から出席した先生は各期から引っ張りだこだった。
『閑話休題』 久女に話を戻すと、彼女ほど多くの方から論評され、小説、芝居、テレビのドラマのモデルになった俳人はいないのではないか。彼女は頑固な夫に仕え二人の娘を育て、炊事洗濯をこなし、驚くことに、漢字で書かれた万葉集や古事記、変体仮名で書かれた源氏物語を読み、多くの優れた俳句を詠んでいる。
生意気で口さがない私たちは、偉大な俳人と知らず、バネさんの奥さんはヒステリーで朝もロクロク食事もしないそうだと陰口をたたいたものだ。茲に冥土の杉田先生夫妻にお詫び申し上げます。。中学1年の教室から瀟洒な西洋間が見渡せたが、それが久女も俳句の指導に度々訪れ、虚子を招いて句会を開いた橋本多佳子の櫓山荘とこの本で知った。
「ホトトギス」同人からの除名の理由を著者はるる述べているが、私はそれに加えて虚子をはじめ小倉在住の横山白虹たち俳人の、久女の才能の嫉妬ではないかと思われる。
代表的俳句を三句
   谺して 山ほととぎす ほしいまま
   花衣 ぬぐや纏る 紐いろいろ
   磯菜つむ 行手いそがん いざ子ども

  COMMENT(0)
寂聴の元気回復を祝う。
2015/05/15 [Fri]11:17
category:放言
  最近、メディアから寂聴さんの姿が消えてどうしているのか気掛かりになっていたところ、8斤昨晩(14日)NHK「クローズアップ現代」で、特集『寂聴93歳の青春 老いても色っぽく』が放映された。
かねてからガンを患っていたとは聞いていたが、歳が歳だけに黄泉の国に旅立ったのかなと心配していたが、昨晩のテレビで見て元気で若々しくその上色っぽく美しいのに驚いた。
”その言やよし”若者に『恋と革命をしなさい』との賜り、本人はエロぽい本ほ書いているそうだ。
彼女は大学教授の夫と幼い娘を捨てて、夫の教え子と駆け落ちし恋の遍歴の末、得度し出家した。
 私は彼女の流れるような歯切れのよい文体が好きで、伝記小説は悉くよみ、随筆や評論も三分の一は読んでいる。


 「ドラえもん」の声優・大山のぶ代さんが痴呆症で治療中と、今朝のの朝ドラで夫の砂川啓介さんがラジオ番組で話をしていたが、『産経抄』に、厚生労働省によると、十数年前痴呆症が100万人、3年前は高齢認知症は462万人、10年後は推定700万人を超え、間もなく5人に1人は認知症になるだろうと報じている。私の怖いのは血とはいえ、ボケはボケでも色ボケだ。10年後は死んでいるからよいものの、そうならないために、セッセとブログを書き本を読んでいる。
  COMMENT(2)
私の元気な秘密。
2015/05/13 [Wed]15:38
category:放言
 よくぞ八十六歳まで生きてきたものだ。
 幼いとき、腺病質で主治医から二十歳まで生きれるかどうかと宣告され、早生まれなのに、一年遅れて入学した。
思えば、小学五年生で肋膜炎で二学期、三学期休んで本来ならば留年するところだが、父が校長、母が旧八幡市の女教員会の会長の地位を利用して、私の在籍している小学校に圧力をかけ強引に六年生に進学した。
その上、当時九州一の難関中の難関校といわれた小倉中学を受験した。ふのよいことに、大東亜戦争がぼっ発し紙がなく、入学試験は口頭試問と体操の懸垂だけであった。まぐれで合格したものの一年一学期の試験は、287名中257番、夏休み中父にしごかれ、数学の+、-が分かっただけで、二学期は104番上がり、戦後、また100番上がり待望の50番以内に入り、ナンバースクールの七高を受験、見事不合格、時あたかも戦争直後の食糧難で東京農大予科に進学するも、共産党に入党、予科生のくせ全学委員長に推されたためレッドパージになって今日に至る。

私の健康
丈夫な体に育ててくれた第一は、両親のお陰だ。亡き両親に深く感謝している。
 タバコは50歳で止め、酒も70歳過ぎてからは中缶ビールに焼酎お湯割りコップ一杯か、酒は二号以内.朝はご飯に味噌汁に、干物に、鮭か明太、塩さば、納豆、生卵を交互に、おろしにチリメンジャコに梅干一個、食後は季節の果物二種類。水はOさんから頂いた水素水。昼は外食が多、くうどんかそばかラーメン、家に居るときはパンか手作りのチャーハンか親子どんぶり。夜は嫁の作った料理を肴に一杯。
散歩は家の周りを15分程度。ボケ防止に、最近は2,3日おきにブログを書く。そのための資料集めに図書館行く。
家族の猛反対で運転を止め、足腰がすっかり弱ると共に不便この上なし。往きは家内の運転で帰りは西鉄バス。
現在、山口青屯邨に師事し東洋大学文学部教授・坂本宮尾女史の書いた恩師の妻、女流俳聖といわれた杉田久女の伝記を読んでいる。読み終わったら感想をブログで書く予定。
一昨日、私の塾に通ってきていた3人の娘の父親で、医師から句集『君と居る』が恵贈された。正岡子規といい俳句ずいている。
  COMMENT(0)
大阪都構想の是非
2015/05/11 [Mon]11:39
category:放言
 「大阪都構想」実現に政治生命をかける大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は住民投票まで1週間となった10日も市内4カ所で街頭演説を行った。世論調査で反対が上回った状況を「力不足だ」としつつ、「あと1週間、まわりに声を掛けて賛同してほしい」と訴えた。一方、都構想反対で連携する自民、民主、共産各党の国会議員は合同街頭演説を開き、「禁断の呉越同舟」で反対を呼び掛けた。

 「大阪が変わるラストチャンスだ。17日の住民投票は賛成で大阪を前に進めてほしい」

 橋下氏は10日に大阪市此花区で行った街頭演説で、こう訴えた。橋下氏は自ら退路を断ち、都構想否決の場合の政界引退を公言している。維新の党にとって、否決されれば、党の掲げる重要政策の柱に加え、橋下氏という創業者も失う。党の存亡がかかった住民投票だけに、賛成が広がらない状況に焦りもにじむ。

 橋下氏は演説で、「大阪市役所がどれだけ税金を食い物にしてきたのか忘れたかと反対の人に聞きたい」と、反対派を厳しく批判。「少子・高齢化に向け未来を見据えたのが都構想だ。大阪の街をつぶすのではない。役所の仕組みをつくり変えるだけだ。住民サービスが極端に下がることはない」と強調した。

 これに対し、反対派の自民、共産両党は大阪・梅田で街宣車を並べた。

 自民党大阪府連会長の竹本直一衆院議員は「年2200億円が大阪市から大阪府に吸い上げられ、市民には大損だ」「住民サービスが不便になる」と気勢を上げた。安倍晋三政権批判の先頭に立つ民主党の辻元清美衆院議員も参戦し、「党派を超えて『大阪党』として立っている。ぜひ否決してほしい」と呼び掛けた。

 その後、辻元氏らと共産党の街宣車に乗り換えた自民党の柳本卓治参院議員は「兄弟分のような感じだ」と共産党を持ち上げ、同党の山下芳生書記局長も「120年の歴史を持つ大阪市を廃止するのが都構想の正体だ」と訴えた。

 安倍首相は都構想に一定の理解を示し「反対」明言を求める党大阪府連にも首を縦に振ってこなかった。今後の憲法改正を見据えれば、「憲法改正は必要だ」と主張する橋下氏ら維新の党との連携は欠かせない。そうした状況で、首相を敵視する辻元、山下両氏らと共闘する党大阪府連には「みっともない」(党幹部)との声も上がっている。
.



[?続きを読む?]
  COMMENT(0)
魔性な女
2015/05/10 [Sun]08:51
category:放言
 予告していた『魔性の女』を書いてみる。
先に予算委員会での採決を秘書とのデートで欠席し、維新の党から除名になった上西小百合議員にみんな驚いた。
橋下代表と記者会見に臨んだ彼女の濃い化粧、瞼のアイライン、ピンクの頬紅は、AV女優とマネージャーしか見えなかったし、驚いたことには、議員辞職はしないとの開き直った態度である。テレビのワイドショウに出てからは時の人となり、非難を横目で見ながら堂々と闊歩している。
「STAP細胞はあります」と愛らしくたどたどしく話す小保方晴子さんにも、中高年の男から”可愛い娘をあまりイジメるな”との声がテレビ局に殺到しているという。
「路チュー」で話題になった中川郁子議員も「あの熟れてやつれた様子が、これまた中高年の男の情欲をそそる」といわれている。郁子議員は未亡人だから問題はないし喜ばしいことだが、相手の男に妻子があることだ。
最近亡くなった松谷天光光女史も、戦後初の婦人代議士として園田直代議士と「白亜の恋」として結婚。
  話が古いが、演歌の大御所・藤あや子さんもむかしは無名の歌手だったがある時、「不倫相手が藤さん宅で自殺」と大々的に週刊誌で報じ、その前結婚した男性も不幸な死を遂げとかで、これぞ『魔性な女』と書き立てられ、ふつうだったらスキャンダルで身を滅ぼしているところだが、あの艶かしい色っぽい美人と歌の上手さで一気に人気が出た。
話は変わるが、大塚家具のお家騒動も、娘の久美子さんが美人のうえ、一ツ橋大学出の才媛ということで勝利を収めたものとおもわれる。
何れにしても、テレビの茶の間のワイドショウの影響甚大だ。
  COMMENT(1)
在原業平とは。
2015/05/09 [Sat]09:45
category:放言
仁明天皇の蔵人となり、849年(嘉祥2年)従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。清和天皇のもとで再び昇進し、862年(貞観4年)従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、873年(貞観15年)には従四位下に昇叙される。陽成朝でも順調に昇進し、877年(元慶元年)従四位上、879年(元慶3年)には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。 880年7月9日(元慶4年5月28日)卒去。享年56。最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。
在原業平像(愛知県知立市 無量寿寺
在原業平と二条后(月岡芳年画)

  業平は『日本三代実録』の卒伝(元慶4年5月28日条)に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、昔から美男の代名詞のようにいわれる。この後に「略無才学 善作倭歌」と続く。基礎的学力が乏しいが、和歌はすばらしい、という意味だろう。[1]
早くから『伊勢物語』の主人公のいわゆる「昔男」と同一視され、伊勢物語の記述内容は、ある程度業平に関する事実であるかのように思われてきた。『伊勢物語』では、文徳天皇の第一皇子でありながら母が藤原氏ではないために帝位につけなかった惟喬親王との交流や、清和天皇女御でのち皇太后となった二条后(藤原高子)、惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王とみなされる高貴な女性たちとの禁忌の恋などが語られ、先の「放縦不拘(物事に囚われず奔放なこと)」という描写と相まって、高尊の生まれでありながら反体制的な貴公子というイメージがある。なお『伊勢物語』成立以降、恬子内親王との間には密通によって高階師尚が生まれたという説が派生し、以後高階氏は業平の子孫ではないかと噂された。歌人としては『古今和歌集』の30首を始め、勅撰和歌集に87首が入集している[2]。子の棟梁・滋春、棟梁の子・元方はみな歌人として知られる。鷹狩に執着した桓武天皇の子孫だけあり、兄・行平ともども鷹狩の名手であったと伝えられる。
  紀有常女(惟喬親王の従姉にあたる)を妻とし、紀氏と交流があった。しかし一方で、藤原基経の四十の賀で和歌を献じた。[注釈 1]また長男・棟梁の娘は祖父譲りの美貌で基経の兄・藤原国経の妻となったのち、基経の嫡男時平の妻になるなど、とくに子孫は藤原氏との交流も浅からずある。また業平自身、晩年には蔵人頭という要職にも就き、薬子の変により廃太子させられた叔父の高岳親王など他の平城系の皇族や、あるいは当時の藤原氏以外の貴族と比較した場合、むしろ兄・行平ともども政治的には中枢に位置しており、『伊勢物語』の「昔男」や『日本三代実録』の記述から窺える人物像と、実状には相違点がある。


  COMMENT(1)
「伊勢物語」考
2015/05/07 [Thu]16:52
category:放言
[ 「昔男ありき」の書き出しで有名な古典『伊勢物語』六十三段「つくもがみ」(九十九髪)をXベストセラー「サラダ記念日」の著者で歌人・俵万智の現代語訳を基に、アレンジしてかいてみる。

 昔、男を恋しく強く思う気持ちを持っている老婆がいた。この世の別れに、なんとかしてもう一度情け深い男に逢いたいものだと思っていた。
言い出すきっかけがないので、三人の子供を呼んで、作り話として夢物語にしてその話をした。上の二人は年甲斐がないと呆れ果てて帰って行った。親孝行な三男の子供は、母親の夢を何とかして適えてやりたいと、情の深い色男でプレイボーイの在原業平を必死で口説いた。その情熱にほだされて業平は老婆と一夜を共に過ごした。
その後、業平はさっぱり来ないので、老婆は寂しくなって業平邸をのぞいて見た。それに気が付いて立ち上がった業平に老婆はうちに来るのではないかと近道の山道をイバラヤカラタチに引っ掛けながら慌てて帰り横になって寝ていた。
業平は老婆が業平邸でしたように、こっそり気付かれないように見ていると、老婆は敷物に自分の衣の片袖を敷いて、
   今夜もまた恋しい人に逢わないまま
   独り寝するのでしょうか。
という意味の短歌を呼んでいる。それを聞いた業平は、不憫に思ってその夜も共寝した。
男女の仲の習いとして、好きだ恋しいと思うひとと関係するのに、、好きでもない人に、この在五中将の業平は、好きも嫌いも区別なく女と関係した。まさにに色男、プレイボーイの面目躍如たるものがある。現代でも意外と面食いはモテないのだ。
思えば、中学1.2年生の性に目覚めるころ、回し読みしたザラガ紙のエロ雑誌のモデルに、巨根の持ち主でスケベーな在原業平が多かったようだ。現代に比べ純情だったし、セックスレスなんて想像もつかない。

近いうち『魔性な女』という題で書く予定。乞うご期待!
  COMMENT(0)
端午の節句
2015/05/05 [Tue]11:23
category:放言
 今日『こどもの日』、曾孫・圭の”端午の節句”の祝いが孫の自宅(名古屋)で、一族郎党(13人)集まって和気藹々”屋根より高い鯉のぼり”を歌っている姿が目に浮かぶ。
娘は15年前夫を亡くし、女一つで三人(一男二女)を育て、息子は信州大学医学部から名古屋大学・大学院で学び現在脳外科の医師、その嫁は産婦人科の医師で、3人の子どもに恵まれ、今日はその息子の端午の節句の祝いである。
今日は嫁の両親が神戸から、母親の娘に孫娘二人(一人は独身)に旦那と子ども二人、総勢13人、さぞかし賑やかなことだろう。娘は、嫁の母親と交互に、孫の守りに行っている。多年の苦労が報われ嬉しそうな貌が瞼に浮かぶ。
孫にお祝いの電話をかけたら、今日の模様を写真にして送るとのこと。首長くして待っている。
孫は父親がアルジェリアに一年間とチニジアの一年間、計二年間の長期出張の間、孫を連れて帰ってきたので我が子のように育て人一倍親近感が漂う。近かったら飛んででも行きたいところだが残念ながら、足腰が弱ってままならぬ。


NHKに物申す!「こどもの日」には童謡や文部省唱歌を。「敬老の日」には戦前や戦後直後の懐かしい歌を何故放送しないのか。少子化や少年犯罪を憂いながら、情緒のある歌を、老人には懐メロを
  COMMENT(2)
憲法改正を目指せ。
2015/05/04 [Mon]10:58
category:放言
     憲法記念日に寄せて
産経新聞によると、昨日の憲法記念日に、安倍総理は、「”民定”と評される現憲法だが、実は国民が定めたものでない。その原案は占領下、日本人のあずかり知らぬところで作られた。原案をGHQ(日本占領軍連合国司令部)の素人がたった8日間で作り上げた代物」と語り、日本人の手で憲法を作る大切さを説いたが、これに対し民主党は「ガキの理論」だと反発しているという。が、どちらがガキか。私はウソつき下村文科相の続投に安倍総理に批判的だが、原理主義を唱える岡田代表、枝野書記長では、地方選挙の結果で見られるように、第二の社会党のように衰退するだろう。
私はバカなひとつのように何度もこのブログで書いたように、新憲法発布の68年前、共産党南部地区委員会学生対策部のキャップをしていて、経堂を中心に小田急沿線で、党からの資料を下に街頭演説をした。
『アメリカの押し付け憲法反対!軍隊なき国家は国家ではない』と。
    正岡子規
ベストセラー『頭の体操』の著者で有名な千葉大学名誉教授(心理学)・多湖輝の『正岡子規ー運命を明るいものに変えてしまった男ー』を読んだ。
内容は、子規の随筆「病牀六尺」「墨汁一滴」「仰臥漫録」をを基に心理学者らしく現代人への教訓を書いたものである。子規は20世紀の俳聖といわれ35歳の短い生涯に二万五千句を作句した。
彼は天下の難関中の難関・一高・東大に進うんだが中退し、新聞社に勤め従軍記者として大陸に渡る船のなかで、結核のため喀血した。戦前は結核は不治の病といわれ多くは死んでいった。それに加え、子規は結核菌に脊髄を侵され脊髄カリエスになり、立つことも座ることも歩くこともできなくなり背中から膿が出て痛さで苦しんだ。
痛みのない日やモルヒネの効いた日に作句した。一高時代の同級生に夏目漱石がおり、彼が松山中学赴任中は度々病床を訪れ、彼がロンドン留学中往復書簡を交わし、弟子に高浜虚子、河東碧梧桐、長塚節等錚々たる友人がおり、司馬遼太郎の名著『坂の上の雲』に出てくる日本海海戦の東郷元帥の名参謀長・秋山直之は幼馴染だった。
この本読んで、健康の有り難みと平常心の大切をを学んだ。

  COMMENT(0)
大竹さんの授章を祝う。
2015/05/02 [Sat]12:32
category:放言
大竹名誉棋聖">(72歳)『旭日中綬章』の授章おめでとうございます。
 仄聞するところ、彼は八幡東区大蔵で生まれで、父親は八幡製鉄所の社員であった。当時、碁会所で碁のうまい少年がいるというので、アマ五段の高田工業創立者・高田寿夫が手合わせをしたところ負けてしまった。
驚いた彼は、当時小学五年生であった少年を、製鉄の労働部長で同じアマ五段の入江富雄と相談して、木谷実の内弟子にしてもらい棋士としてスタートをきった。
期待に応えてメキメキ上達し、タイトル数48、歴代4位の成績を収め、林海鵬と竹林時代を築き、その上、大竹美学とともに一世を風靡した。また日本棋院理事長として重責をにない、実務面でも囲碁界の発展にも寄与し、その功績に授章したものと思われ、名誉碁聖も、「私個人というよりは囲碁界に頂いたものと思われる」と謙虚に語っているという。。
 共に名誉五段の高田工業の高田賢一郎、アステック入江の入江伸明、ゼンリンの大迫忍氏等が健在なら、今回の叙勲を小躍りして喜び、恐らく盛大な祝賀会を地元八幡で開くだろう。
 思い出すのは、入江の葬儀の日、私の背中を叩いて入江の死を悼む言葉があり、咄嗟のことで誰か思い出せなかった。後で冨子夫人に大竹さんと聞いて驚いた。
名誉棋聖が八幡に来るたびに、伸さんが世話をしていたが、彼は、あの小さい体の中に”斗酒なを辞せず”には驚いていた。
世代交代からか、竹林時代に活躍した棋士がテレビで姿を消したのが寂しい.。NHKさん!解説でよいからОBの出番をつくってほしい。私は名誉二段、実力二級の腕前。

  COMMENT(0)

広告エリア

企画工房 ウイング
プロバイダー7
プロバイダー
結婚
ネットプリント

国内旅行

クリック募金     

クリックで救える命がある。

  

人気ブログランキングへ





国内格安航空券を
価格比較!


国内ツアー
国内格安航空券
海外ツアー
海外格安航空券
格安旅行探しの
決定版!Travel.jp

ブログ内検索

このブログをリンクされるときは必要であれば下記のバナーを、右クリック→名前をつけて画像を保存 で お持ち帰り、ご利用ください。 生前告別式ブログ